あえて言いたい



いつから
リスクはなくなったのだろう

村八分にならないロック

消毒薬くさいロック

ロックとは何か?
死語か?
中島らもさんは
「ロックとはひとつの精神状態である」
と言った。
だからロックな調理師もいるし、ロックな農家もいると。ロックじゃない自称ロックンローラーもいるだろう。

このロックでもない世界で
先ほど
ロックな小説家のステージを見た
渋澤怜だ。
新宿JAMでの音楽メインのイベントに出演した彼女を目撃しに行ったのだ。

渋澤さんのステージを初めて見たのは馬野ミキさん、チヒロさん主催の無善寺オープンマイクだったと思う。
受信して、考えて、経験して
「小説家」を本業にしていた彼女が、
ステージに立って放つ言葉に
「ただ者ではないな、
おぬし」
と思った記憶がある。
たぶん渋澤さんもあのあたりが本格的なステージデビューではなかろうか。勝手に同期だと思っている。会社か。

音楽メインのイベントに楽器無しで飛び込んだり、精力的に活動の場を広げている姿には常々 刺激を受けていた。
アウェーでは、スベることも少なくはないと思うけど
(おれ自身 音楽メインのイベントで火傷した経験がある...)
ていうかこの世にアウェーじゃない場所があるだろうか
体内から言葉が世界に飛び出す瞬間は、いつだって
震えるもんなんだけれど。
あ、話が脱線しそう。

生き様を感じる朗読だった。
渋澤さんのは朗読、と言えるのかはわからない。「朗らかに読む」 んー、ちがう!
まあ何だっていい。
ライブハウス
ギター弾き語りの方の後、
客席の中央にマイクスタンドをドカン、と置いて
身体ひとつで
アジのような、野次のような、ときにひとりラジオのように、ときに刺々しく
「インターネットおばさんです」「箱入りブスめ!」
そして、ときに凛々しく。

言葉がすごく自分のものになっている感じ。
指にかかってスピンの効いたストレートと、縦の変化、横の変化のバリエーション。
スベり魔人のバットも空を切っていた。
でも今日の彼女がとくにすばらしかったのは、その「自分の言葉」を自分のものだけにせず、ときに手放して客席を漂わせてくれる余韻があったことだと思う。触れさせてくれた。おれは詩人だから言葉に触れたかったのだ。キャッチャーを信頼してくれたのかもしれない。客席を。
それはカンタンなようで難しい。思い入れがあればあるほど、ひとは自分の言葉を見えないリードで繋ぎたがるものじゃないか。
とくに表現者は。

小説家らしい伏線からの
ハッとするラストに光、
決して平坦ではない地面への着地成功に、拍手。
何か手に汗にぎったなあ。ふー
つまりは目がはなせなかった

あえて
言いたい
ロックでした。


私も、
がんばります.......


以上、えらそーな同期より。



渋澤怜さん公式コチラ



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