立っている




混んでる車内でサラリーマンが自分が通るために
無言でぐいぐい人を押しのけていく
たびたびおれの小さな身体を揺らす
おいおい森を歩いてんじゃないんだぜ? 枝とかクモの巣じゃないんだ
「おれはなあ、社会的に一日会社でがんばって身体張って金稼いでんだから、このくらい別にどーでもいいんだよ」
みたいなコエがきこえるから余計 ヘイトだ。幻聴か
社会的な後ろ盾がないと
威張れないやつはクソだと
思う 正論や多数派の意見をふりかざしてくるやつも。
だから 寝たきりで
身体が動かなくても
介護するおれに対して
「おまえいつか必ず殺すからな!」と言ってくる
おじいさんは神のようだ
ひとのことをクソだとか
言うやつはクソだと思う

スーツを着ているひとに何かしら自分が怒りを感じるときそれはコンプレックスに起因しているのでは、とすぐさま考えてしまって冷める。 怒りの早漏。
一瞬はスーツを着て仕事をバリバリすることに憧れもした
親父の年収をこえて見返したい、とも思った気がする
スーツを着た親父に飯を食わせてもらった・・。


怒っているひとからはコンプレックスが透けて見えて悲しくなるときがある
もはや誰も責められない
コンプレックスやトラウマは
悲しい 
痴呆症が本格化してきた実家のじいちゃんも、
本人は幸せなのかもしれないとか考えてしまう だいたいのひとにとって過去は過ぎ去ったものではないな、と 近ごろ思う

闇を抱えて、ギリギリ光に賭けるにはどうすればいいか?

全体が見下ろせる高いところから叫べばいいだろうか

深海へもぐればいいだろうか

首相官邸でたてこもればいいか

おれがかつて
「失礼します」の一言も
なく壊した家、
クモは地をはいながら
おれに復讐を
ちかっているかもしれない



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